11年ぶりの日記

ふと思い立って過去に書いていたはてなブログにアクセスする

 

そこには過去の自分の記憶があり、同時に今の自分の記憶でもあった

 

目に映る文字列が脳内を駆け巡り、奇妙にシンクロする

 

そして今、11年ぶりにブログを執筆しているのだ

 

最後に書いた記事が何年前かすら覚えていない

 

あぁ、11年も前なのか

 

なんとなくアクセスしなかったら、遠い記憶の中に埋もれたまま、二度と目にすることもなかったのかもしれない

 

11年前の自分はどんな日記を記していたのか、まるで誰かの日記を読むような気持ちでスクロールした

 

そこに描かれた人間に起こった出来事、その内面

 

それは紛れもなく過去の自分だ

 

なんてことはない内容が、ただひたすら書き散らかされている文章

 

時間の流れは残酷だと、使い古された言葉が頭に浮かぶ

 

思い出す喜び、思い出す失望

 

何をどう消化していいのかわからないまま、全ての記事を読了する

 

文章というフィルター越しで見る過去の自分

 

経過した時間は主観性を曖昧にし、記憶の中でリアリティを失った

 

そして自分に問いかける

 

お前は変わったのかと

 

僕は答える

 

何も変わっていないと

 

過去のブログに触れて、今抱いたこの感情が一体どういう種類のものなのか推察することもできず、なんとなく言葉を探す

 

言葉は…出てこない

 

当時の自分が置かれた状況は、決して幸せだったわけではない

 

もちろん、今の自分が満たされているわけでもない

 

この11年で実感できるほどの成長も

 

残念ながら見当たらない

 

状況は変わったが、ロクでもない過去がロクでもない今に繋がっているだけだ

 

ブログを休止している間に、離婚して子供を引き取ってひとり親となって5年が経つ

 

子供を優先するため、会社を畳んでクソみたいな仕事をしながらの生活

 

ただ、最低最悪な結婚生活から解放されただけマシにはなったのかもしれない

 

それでも幸せという言葉が指す意味はわからないままである

 

子供はもうすぐ小学校6年生

 

来年、中学生に上がるタイミングで元妻のところに行く事が決まっている

 

「今更何だよ」という気持ちではある

 

それでもお腹を痛めて産んだのは向こうだ

 

「子供を引き取りたい」と言われれば逆らえない

 

自分はなんのために独りで子供を育てていたのか

 

今は虚無感しかない

 

子供のことを1番に考え、子供を何よりも優先した生活を送るために社会から孤立した

 

そして子供を奪われる

 

来年の4月に僕は本当に独りになるんだ

 

言いたいことは山ほどある

 

抱えきれずに溢れる言葉たちを、全て拾って片っ端から飲み込んでいく

 

 

11年間立ち止まったまま、こうやって景色だけが流れていっただけなんだ

 

もういいよ

 

わかった

 

何も言わない

 

だからもう放っておいてくれ

 

全てを諦めるよ

ゆずれないから逃げたい

 
どんなに理論を捻じ曲げられても

どんなに感情論でねじ伏せられても

僕が最後まで言いたいことは

例えば精神疾患者なり知的障害者が犯罪を犯して、そいつの責任能力が法廷で認められずに無罪になったとしてもだよ、被害者までもが消えてなくなるわけじゃないんだってこと

悪い例えでごめんだけど

科学的な理由に基づいた根拠があったとしても、人を傷つけて開き直っていいことにはならないんだ



その上、最終的には僕が悪者にされていく

なんだこの人生
 
 

幸せになんかなれるわけないだろワロスw

 
復讐が何も生まないなんてわかってる

わかっててもそうしなければ生きていられない感情を引きずって歩いてる人間もいるってこと

決して下ろせない荷物を抱えて念を燃やす

歪んでるねー

醜いねー

わかってる

わかってる

だって

思うよ
 
 
何度この気持ちにつまづかなきゃならないんだって

何度この穴に落っことされなきゃいけないんだって
 
 
なかったことになんかできないんですよ

刃が刺さる前には戻れない

たぶん、この先何十回だって同じように僕は転がる

その度に死んだ目をして

何度も何度も憎いと叫ぶ



もうすぐ

僕の狂った一部は暴走して

最低な僕を作りだす



それでもね

今よりずっとマシなんじゃないかって

未来が壊れていく
 
 
 

根底の虚無

 
注射は全然痛くありませんでした

お騒がせしてすいません


ま、それはさておきまして


日々生活していると、いろいろなことが起こって、たくさんのことを感じたり思ったりするじゃないですか

そのなかでも、ほんのささいな出来事で心がギュッってなることありますよね

そういった感傷を抱く瞬間というのは突然にやってくるわけで

いや、病んでないです

この、なんていうか、心が感じやすくなるスイッチって何なのかなって

それは人によって違うのかもしれませんが、では自分はどんなことに敏感なんだろうって

時々考えたりします

生きてると、絶対に周りに人がいるじゃないですか

関わってくるじゃないですか

だから、自分以外の気持ちが必ず絡んでくる

僕の場合、心的距離の近い人に対する優しさや思いやりに時々心を乗っ取られることがあって

すごく揺さぶられる

自分の人生が何なのかわからなくなるときがあるんです

あと憎しみとか



言いたいことは山のようにあって

でも、そのほとんどが言えないことで

自分の体を突き破って出てくるコトバを拾い集めては失う

発生したエネルギーは消費されずにストレスへと形を変えるから


たまにね

なんなんだろうって思いますよ

なにやってんだろうって


でもね、楽しいことや悪いことを考えて、画策して…

そしてある程度は諦めて割り切って

まぁ、過ごしてます



自分を満たすことは、どうしたって無理でした
 
 
 

がくぶるる

 
対外的なバランスをとるのにエネルギーを使い過ぎて、中身がイカれちゃった典型的なパターン



明日はインフルの予防接種。。まじこえええええええええ

注射きらい

注射コワイ

いまからgkbr

  

あれ?

 
今日の最高気温27度だって

10月下旬ですけどね

明日は寒いらしい

もうね

どうでもいいぞと

何度だって構わないぞと

僕の体調さえ悪くならなければ、気温なんてどうだっていいのですよ

金曜日はインフルエンザの予防接種受けてくるし

今月いっぱいで退社だし

そうしたら時間的に余裕が生まれ、心も穏やかになるんだ

だからさ

もはや気温どうこうじゃないの

そんな限定的な環境うんぬんに揺さぶられないの

もうブレないの

なにがって?

えーっと・・・


なんだっけ。。